水尾町の北端から本通りを少し西に行くと橋本小路がある。ちょっとレトロな建物の「秋元洋服店」と「大村仏壇店(かつては橋本玩具店だった)」の間の路地だ。いつの頃かはわからないが、この路地の南端には「橋本私設道」と書いた小さな石柱が立っていたらしい。江戸時代の豪商で灰屋の屋号をもつ橋本家(広島銀行の創設者でもある)の広大な邸宅の一部を町民の便利を考え、道として提供されたものだといわれている。
それにしても不思議なのは、尾道には江戸時代にも豪商がいたという話は、ちょこちょこ聞くが、その豪商の当時の建物が、橋本家の別邸「爽籟軒(そうらいけん)庭園」ぐらいしか残っていないのはなぜなのか。
ところで、橋本小路の久保本通り側の入口角にあった「秋元洋服店」の3階建ての建物は、市民にあまり知られていないが、レトロでこれまた必見の建築物である。昨年(平成30年)までは小路の西側に建物があった関係で、秋元洋服店の建物の全容が把握できなかったが、更地になり目の前に店舗側面の全容を現した途端、尾道市民の多くは、吾輩同様その素晴らしさに驚いたことだろう。
平成が令和に代わり、橋本小路の南側も風景を一変させた。この路地からは海辺に向かって抜けていて、対岸の向島の山の緑が見えていた。ところが、路地の先には巨大な新尾道市庁舎(増田友也設計の旧市庁舎の1.7倍)を建設したため、海岸の風景を遮断し閉塞感が漂う路地となってしまった。
それにしても不思議なのは、尾道には江戸時代にも豪商がいたという話は、ちょこちょこ聞くが、その豪商の当時の建物が、橋本家の別邸「爽籟軒(そうらいけん)庭園」ぐらいしか残っていないのはなぜなのか。
ところで、橋本小路の久保本通り側の入口角にあった「秋元洋服店」の3階建ての建物は、市民にあまり知られていないが、レトロでこれまた必見の建築物である。昨年(平成30年)までは小路の西側に建物があった関係で、秋元洋服店の建物の全容が把握できなかったが、更地になり目の前に店舗側面の全容を現した途端、尾道市民の多くは、吾輩同様その素晴らしさに驚いたことだろう。
平成が令和に代わり、橋本小路の南側も風景を一変させた。この路地からは海辺に向かって抜けていて、対岸の向島の山の緑が見えていた。ところが、路地の先には巨大な新尾道市庁舎(増田友也設計の旧市庁舎の1.7倍)を建設したため、海岸の風景を遮断し閉塞感が漂う路地となってしまった。